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美ヶ原高原の東側に位置する「美しの国」別荘地。豊かな大自然を伝えます。
佐久イルミネーション
先週、佐久駅近くの公園で。数年前より大規模になっていました。

佐久イルミネーション2

佐久イルミネーション3



道で水を飲むタヌキ
今日、車が近づいても逃げず悠々と水を飲み続けるタヌキに遭遇しました。
久しぶりにプラス気温になりましたから融けていますが、そうでなければどこで水を得るのでしょう。沢は凍ったり雪で覆われていたりで、簡単には水に近付けないのかも知れません。
しばらく待っても動かないので脇を通りましたが、全く動じる様子がなくて驚きました。
それにしてもこのタヌキ、かなりインパクトのある眉毛です。

by pu-

[2019/01/31 23:14] | 未分類
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イルミネーション
櫻井俊雄
70年前、中山道の宿場の面影を残す商店街に小さな映画館があり、田んぼ道を自転車で通っていましたが、その頃の岩村田(佐久)は人通りの無い町と云う印象が強く残っています。それに対して小諸は駅舎も大きく建て替えられて、町も四方に広がり佐久の中心として発展し、常に町は活況を帯びていました。
しかし、新幹線の通過に反対した小諸と、佐久平駅が新設された岩村田は瞬く間に立場が逆転し、今では佐久の中心として発展し続けています。
美しいイルミネーションやバルーンフェステバルなどの催しが行われ人気を集めているようですが、これを見る限り小諸の選択は今のところ失敗のようです。


pu-
当時10歳の少年は、どんな映画をご覧になっていたのですか?
佐久は平らですし、何もなかっただけに開発しやすかったのでしょうか。、
小諸の鄙びた雰囲気も良いですが、佐久の雄大な風景と便利さは大きな魅力です。



小諸の思い出
ST
 櫻井様の文章を読んで、僕にも「小諸」が懐かしく思い出されましたので、コメントに加わらせて下さい。
 もう60年近く前の学生時代、東京から紅葉の奥秩父の山を縦走しようと、クラスの友人に声をかけました。数人と登ることになりましたが、「下山のあと小諸に一泊する」と付け加えると、それなら俺も行くと、参加者が倍になりました。それほど「小諸」は、島崎藤村の詩「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ‥‥」
のイメージが圧倒的で、しかも彼が小諸義塾の教員として数年居住したところとして知られていました。高校の国語の教科書には、必ずといっていいほど載っており、また藤村の文庫本の何冊かは、その頃のとくに文科系の学生にとっては、ほとんど必読の書だったようです。
 下山して「小諸」では、夕方何軒かのボロ宿を訪ね歩いて、いちばん安い宿に泊まりました。当然夕食は粗末なもので、しかも翌日には半数が食あたりになりながら、それでもまあ元気に帰京しました。
 いまでは島崎藤村ゆかりの「小諸」を、それゆえに訪れる若者は、いったい一年で何人いるのでしょうか。
 僕も藤村を改めて読んだことは、ほとんどありません。

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2019/02/01(Fri) 07:25 |   |  #[ 編集]
イルミネーション
70年前、中山道の宿場の面影を残す商店街に小さな映画館があり、田んぼ道を自転車で通っていましたが、その頃の岩村田(佐久)は人通りの無い町と云う印象が強く残っています。それに対して小諸は駅舎も大きく建て替えられて、町も四方に広がり佐久の中心として発展し、常に町は活況を帯びていました。
しかし、新幹線の通過に反対した小諸と、佐久平駅が新設された岩村田は瞬く間に立場が逆転し、今では佐久の中心として発展し続けています。
美しいイルミネーションやバルーンフェステバルなどの催しが行われ人気を集めているようですが、これを見る限り小諸の選択は今のところ失敗のようです。
2019/02/09(Sat) 11:10 | URL  | 櫻井俊雄 #98cNi8VM[ 編集]
当時10歳の少年は、どんな映画をご覧になっていたのですか?
佐久は平らですし、何もなかっただけに開発しやすかったのでしょうか。、
小諸の鄙びた雰囲気も良いですが、佐久の雄大な風景と便利さは大きな魅力です。

2019/02/09(Sat) 23:41 | URL  | pu- #-[ 編集]
小諸の思い出
 櫻井様の文章を読んで、僕にも「小諸」が懐かしく思い出されましたので、コメントに加わらせて下さい。
 もう60年近く前の学生時代、東京から紅葉の奥秩父の山を縦走しようと、クラスの友人に声をかけました。数人と登ることになりましたが、「下山のあと小諸に一泊する」と付け加えると、それなら俺も行くと、参加者が倍になりました。それほど「小諸」は、島崎藤村の詩「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ‥‥」
のイメージが圧倒的で、しかも彼が小諸義塾の教員として数年居住したところとして知られていました。高校の国語の教科書には、必ずといっていいほど載っており、また藤村の文庫本の何冊かは、その頃のとくに文科系の学生にとっては、ほとんど必読の書だったようです。
 下山して「小諸」では、夕方何軒かのボロ宿を訪ね歩いて、いちばん安い宿に泊まりました。当然夕食は粗末なもので、しかも翌日には半数が食あたりになりながら、それでもまあ元気に帰京しました。
 いまでは島崎藤村ゆかりの「小諸」を、それゆえに訪れる若者は、いったい一年で何人いるのでしょうか。
 僕も藤村を改めて読んだことは、ほとんどありません。
2019/02/12(Tue) 19:37 | URL  | ST #-[ 編集]
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